齋藤薫の馨る女 EX
2017.8.31

結婚は、女の印象を変える【齋藤 薫さん連載 vol.65】

結婚そのものは、100%祝福の対象になるものですが、いつ、どこで、どんなタイミングで発表するかは、女の価値が問われるところ。さらに、結婚相手によってその人の印象が良くなったり悪くなったりするのも事実です。お互いの印象を下げない幸せな結婚について薫さんが分析します。

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結婚は、女を少し非常識にしてしまう。
だからこそ結婚発表に人間性が丸見えになるのだ

いろんな意味で、今また「結婚」が様々な問題を提起している。まず何といっても、結婚を世間に知らしめる方法として物議を醸したあの出来事。いわゆるAKBの総選挙で「皆さん、たくさん応援してくれてありがとうございます。20位、うれしいです。〜〜〜〜で、私、結婚します」と、意表をつくような結婚発表をしたメンバーがいたこと。申し訳ないけれど、ここ数年の主要メンバーは、指原莉乃以外もうよくわからなくなっているから、それを言った人がどうのこうのという話ではない。でも女が自分の結婚をどう語るか、これは結構厄介なテーマであること、改めて思い知らせたのは事実。
結婚にネガティブは無い。誰がどこでどのように発表しようと、100%祝福の対象になってしかるべきなのだ。しかし、目に見えないところにいろんな思いが渦巻くのがこの社会。少なくとも、結婚が決まった時というのは、誰にとっても人生最良の時、相手がどんなにとんでもない男でも、婚約期間の幸せは、一点の濁りもないものだ。でもだからこそ、自分の立場をわきまえ、どういう形で結婚を伝えるかを熟慮る、それが大人の女の道徳である気がするのだ。自分ばかりが幸せになる印象を避けたい、また自分ばかりが注目を浴びることを避けたい、そう思える道徳。そんな気遣いは別になくてもいいけれど、あったらあったで何だかその人の印象を、知らず知らず高める気もするのである。
ところが、 いつもはまともなのに、こと結婚に関してだけセンスが悪くなる人が少なくない。例えば、誰かの送別会の時に「私、結婚します」という宣言をしてしまう人がいたら、当然ヒンシュク、センスの悪さを露呈することになるのに、それに気づかない。結婚は女を非常識にしがちなのだ。残念ながら、結婚は自分たちが騒ぐほどに、その結婚、大丈夫? と疑問が呈されるというのに。
実際、結婚式が盛大なほど危ないというジンクスがあるほどなのに。
もちろん非の打ち所がない結婚もあるはずだが、わずかでも違和感を宿す結婚は、そこめがけて、言われなくていいことを言われてしまう。だから、今や何の発表もなく、人知れず結婚していたという女優やタレントが少なくないわけで、少し前にも、女優の結婚が報道されるや否や、意地悪なマスコミが動いた、あまりにもゴージャスな結婚だったから。高学歴とIT系の出来過ぎのカップルだったから。見事な結婚は、どうしてもアラ探しをされる時代なのだ。だからそれを見越して、静かーに結婚しても尚つつかれてしまう、ちょっと悲しい時代。
しかし、結婚は全くもって個人の事情。100%自分が主役。なのに世間に対して告知するのが、ある種の義務だからこそ、その告知の仕方に人間性が丸見えになるのだ。それを、みんなが固唾を飲む総選挙の結果発表にぶつけてくるのは、見事といえば見事。いい度胸といえばいい度胸。大人たちの思惑で話題作りに利用されたのではないかという噂も出てしまうほど、物議を醸すのが目に見えているような、唐突かつ奇抜なことだった。そこで彼女は何をしたかったか? そもそも恋愛ご法度の世界で、ただのルール違反として安っぽいスキャンダルで終わるよりは、あの方が彼女の人生において、立派な歴史として残っていくはず。そういう意味では、批判を覚悟での賭けだったのかもしれない。無邪気なほどの世間知らずか、満を持しての賭けか、一体どちらだろう。どちらにしてもご立派。この人、いろんな意味で大物だ。
いずれにせよ、結婚発表は時と場合と相手を選んで。放っておいても勝手に一人歩きしていくほどインパクトのある情報。自分たちで祭り上げると、だいたい損をする。結婚って、不思議だ。だから謙虚に、慎ましく、でも朗らかに。
 

女はイメージと結婚する。だからミランダ・カーは、結婚によって自らをとことん浄化させた

結婚が、その人のこれまでのイメージを一変させるのは本当によくあること。相手との釣り合いによって、相手の人となりによって、イメージがガラリと変わってしまう。いやそもそも、〝結婚すること〟自体が、人の印象を大きく変えるのだ。例えば、秋篠宮家の眞子様。いきなり婚約者が現れたとき、誰もがハッとしたと思う。妹の佳子様の、メークやオシャレに関心のある風情に比べると、何かとてもストイックに、学生生活を送られていた印象があり、だから結果この年齢でのご結婚は意外でもあったし、長い交際も意表をつかれた感じ。しかしながら、どこか距離感のあった眞子様と国民の間が一気に縮まったのは確かで、とても人間的な、すぐそばにいる女性の気配を色濃く感じさせた。
いや実際、婚約を発表した途端、社内から急に親しく声をかけられるようになったとか、男性の目が変わったという体験をした人が少なくないのだ。確かにそう、夏木マリ、阿川佐和子といった大人の女性たちが50代をすぎて結婚発表した時も、その人が急に身近に思えたり、女っぽく見えたりしたはずなのせたのは確か。若い頃の結婚よりも歳を重ねてからの結婚の方が、その人の人生も濃厚に見せつつ、人間をとても人間臭く見せるのだ。
一方でこんなケースもある。先ごろ結婚したばかりのミランダ・カー。お相手は、とんでもない大富豪で、これまた出来過ぎの結婚、何か不安材料がないかとマスコミは必死で探したというが、そこで出てきたのがこんな話。
お相手がとても古風な人で、結婚までは清らかな関係のままで………。いくら古風といっても、今どきそんなこだわりを持った男性がいるなど正直信じられない。でも、ミランダ・カー自身がそう言い出したというのだから、疑いようのない事実。そんなプライベートなニュースが流れた途端、ミランダもとても清らかに見えた。もともと上品なイメージが日本人受けしていた人だが、結婚が2度目であること、「大富豪が大好き」という噂もあって、最近のミランダのイメージには少々危ういものがあったのだ。
しかし、この結婚相手のあまりのストイックさが、ミランダのイメージも変えてしまう。何かとても可憐で清らかで、妖精的な美しさを宿した気がするのだ。当然のこととして、こういう生真面目な男性と付き合っていれば、自分を清潔に見せようという見えない力が働くはずで、そういう意味で彼女の持ち前の可憐さが改めて覚醒したのだろうけれど、世間の目から見たイメージは、この男性の存在によってずいぶんと浄化された。結婚とはそういうものなのだ。
人はイメージと結婚するといってもいいし、パートナーとの化学反応によって新しいイメージが生まれるある種の調合といってもいい。ただどんなイメージが生まれるのか、自分ではなかなか判断できないもの。混ぜてみなければわからない。自分はどう見られているか、己を知らないことのそれは象徴といえるのかもしれない。
ミランダのように、大富豪と結婚したのに、イメージアップしてしまうケースも稀まれにある。でももしも、このストイックな夫とたちまちうまくいかなくなったりしたら、やっぱりお金持ち大好きな、ゆるい女のイメージを必要以上に生んでしまうのかもしれい。だから女は、人も羨む結婚をした時ほど、絶対に幸せにならなければいけないのである。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレッ クス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

美的8月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子

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